智照院について

寺院についてのご案内

智照院は岐阜市内の曹洞宗のお寺であり、ぎふ七福神・恵比寿天、美濃新四国72番札所となっております。
正徳元年(1711年)當村岩田村に住む孫次郎さんの娘さん、平素より情穏やかで智照庵という庵を建て出家し、智照元明尼首座として観音様をお祀りし終日念仏三昧の日々を過ごしていたそうです。元文4年(1739年)當庵にてお亡くなりになり、當山開基といたしました。
宝暦11年(1755年・5月)現在の三重県松坂市にございます薬師寺様の3世大成誓道大和尚が、諸国遍歴の途中この地にとどまり当山で一生を過ごされたそうです。およそ100年後、上記ご案内の薬師寺様より12世佛山道穏大和尚をお招きして法地開山とし山号を普門山、寺名を開基の智照元明尼首座のお名前より「智照」を頂きまして智照院といたしました。明治24年の濃尾震災で本堂は全壊いたしましたが、当山4世・道圓和尚の発願により本堂が再建され現在に至ります。

智照院古墳

智照院の墓地の中に智照院古墳(6~7世紀)という横穴式の石室があります。石室は奥行き7.9m、奥の壁幅1.2m、高さ2.1mです。室内からはハソウという須恵器の土器が見つかっています。これは酒などを入れ祭りに使ったと考えられます。

副葬品

住職紹介・ご挨拶

ご挨拶

 智照院住職の宮崎誠道(みやざきじょうどう)と申します。平成17年に晋住して以来、僧侶として生きることはご縁をいただく皆様と共に生きる日々であり、それは同時に当山の護持発展に勤めることでもありました。 
 ところが現在、長引くコロナ禍や世界の紛争に私たちは今までに経験したことのない新たな悩み苦しみを抱えながら混迷の時代を生きています。今こそ、仏教の「み教え」はいつの時代も、どんな人の心の悩みにも寄り添うことのできる実践的な教えであることをお伝えするため、また新たな布教教化の一助なるよう今回のホームページ開設にいたりました。
 お釈迦様は「一切の生きとし生けるものは幸せであれ」と説かれました。皆が幸せにということですよね。今後もここに思いを寄せながら、より丁寧により親しみやすい情報発信に努めていきたいと考えておりますので、宜しくお願い申し上げます。

宮崎誠道 合掌

住職 宮崎 誠道 (Miyazaki Jodo)

1974年11月26日生まれ。宮城県仙台市出身。平成17年4月より智照院住職に就任。
平成26年より2年間、曹洞宗岐阜県青年会(以下、曹岐青)会長を勤め曹岐青40周年記念事業を展開。
令和2年4月1日より曹洞宗特派布教師。